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戦前・戦後の星祭祭典 [朝のおつとめ等]

明治17年12月冬至、午前零時を期し祭典の行事を檀家一同にて行う。
各自の分担  
☆角田 三郎・・・・赤 飯  
☆角田代十郎・・・・清 酒
☆宇佐美源兵衛・・・花菓子(青い割竹の先を5つに割り、餅と菓子を交互に挿す)
☆角田捨吉・・・・・御供(鏡餅三重ね)
☆檀  家・・・・・自家生産の野菜類
☆薪は、全員で山に入り枯れ木を採る。
以上、無償寄付。参詣者に清酒、赤飯、野菜の煮たものを振舞いたる。

年々参詣者が増加、その数 数千名の多きにに達したる故, 清酒、赤飯、鏡餅、花菓子等は執行部にて有償購入。
村内各戸より集めた白米は餅に搗き、お供物として御札に添えたり。
清酒は厳選、最上の品 一斗樽30数樽(一斗=18立)、糯米・小豆約5俵(一俵60キログラム) 檀家各戸より持ち寄りたる野菜類の量もまた莫大なり。.
 以上の如くなれば、酒好きの信者は御酒(オミキ)の量も過ぎることしばしばあり、遠く圭林、藤垈、又は米倉方面迄 泥酔の末 厳寒・風雨・雪も知らぬげに道端に寝入り幸いの夢など見しものと思う。
 又 境内は勿論、門前往還には露天商50を越し、夜中より日没まで盛況を呈したり。斯くの如き祭典は、日本国広しといえども我が妙見山晴雲寺のほかこれなし。
 かかる行事も日支事変、続いて第2次世界大戦のため物資悉く不足し総て配給制度と相成り断絶。今日僅かにその影を止むる次第。
 晴雲寺本堂・・・間口7間、奥行7間。
  寄付者・・・宇佐美一寶・角田三郎・宇佐美源兵衛・角田代十郎・角田捨吉。
        檀徒一同。
晴雲寺庫裡・・・間口2間、奥行3間。
  寄付者・・・角田三郎・宇佐美源兵衛・宇佐美一寶。  (古文書による)

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